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 小国町    
       
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□ いのちのアトリエ
セルフビルドの家

今までに完成した家を写真や図面で紹介しています。
全ての家が柱、梁の見える真壁の木の家です。間取りは3尺グリッドに従っています。
 小屋裏平面図
 この場所は冬でも暖かい。冬が楽しくなるスペース。
 2階平面図
 広い広間でさまざまな生活セミナーが行われる。
 集熱塔平面
 梯子で上がり集熱塔の排熱窓の開閉で室温を調整する。
論より証拠

右の写真の屋根に見えるのが集熱塔であるが、左側に軒を支える斜めのつっかえ棒、方杖が見えるだろうか。一応、一級建築士の面目で3mの雪にも耐えられるような梁にした。それは2本の梁を重ねてもつようにしたのだが、地元大工の意向からこの方杖を取り付けた。見た目が大事。もっともなことである。いくら数字に頼ってもしょうがない。
ここでも女性達は高いところに上がっている。上棟式恒例の餅まきである。天から降ってくるものは何でもありがたい。それが終わり旦那は地上で埋炭をしている。
胡桃平の家の集熱モード

1階の南側はガラス屋根の土間になっている。これはG・O夫妻がアメリカのエコロジストから学んできた家の造りである。この土間は室内の熱の寛容さを生むものであり、この胡桃平の3mを超えんとする冬の豪雪時に春に向かう作業をするためのスペースにもなっている。
左のイラストは夏の夜、昼のモード。昼はガラス屋根の下に断熱カーテンを設けて昼の光を遮り、地窓からは風を取り入れ、集熱塔から排熱する。家の北側が掃き出し戸になっているために通風の効果が高まっている。夜は断熱カーテンを開けてガラス屋根から放熱する。もともとは日本の民家が持っていた機能である。
真ん中のイラストは春、秋のモードである。ここでは土間と縁の下の土の鈍感さを利用して室温の平均化を図っている。
右のイラストは冬の豪雪時のモードである。この時期はやはり薪ストーブのお世話になる。この薪ストーブは家の中央に鎮座していただく。この家は別荘のように外の景色を見ながら炎を愛でるなどとはしない。煮炊きもする生活の火である。この熱を縁の下に通し、そこに玉石を敷いて蓄熱させようとした。それは夜でも効果は失われない。
今日は棟上の日である。天気もよく屋根の上は気持ちがいい。
それはわかるが大工さん顔負けで建て主ともども女性連が上がってきてしまった。女性が堂々と立っているのに男はヘッピリ腰だ。大工はあきれて休んでいる。
立面図でわかるように屋根中央の集熱塔の棟木を取り付けているところ。左に見えるのがとてつもなく大きい薪スト−ブの煙突の骨組みである。
胡桃平の家は図面を見るようにずいぶんと大きい家になっている。それは子供を含めてG・O家族のオフィスだからである。ここでは都会生活者の生活を見直してもらおうとの考えから民宿というかセミナーハウスのような家になってしまった。
ここに来るお母さんは山で採れた野草料理を火を起こして作り、お父さんは子供と一緒に山に狩り(カブト虫)に行く。父親復権を図り、母の料理をみんなで食べるという具合。田舎がない都市生活者の田舎の実家という感じである。
G・O夫妻と知り合ったのは東京だった。福岡正信から玄米食に至るのは必然であるが、私もその一人だった。G・O夫妻も環境と経済の折り合いに悩む人だった。雪深い山奥に家を造る計画をしているのだが、地元の工務店は海を越えて来る材木を使わざる得ないことを話していた。木は裏の山に生えているのになぜそうなるのかG・O夫妻は理解できなかった。また、できれば自分たちの手で造りたいと話した。そこで工房は日本の木で家を造っていることを話した。息統合した。しかし、いくら素人が家づくりの経験しているからと言ってこの計画は大きすぎると思われた。そこで工房が軸組みを加工して棟上までを行い、その後の工事は地元の大工とG・O夫妻が友人と共に行うことにした。そこは顔の広い夫妻の人脈により可能になった。
 G・O夫妻はバブルに向かう日本は狂っていると奥深い山形の地にランクル1台の家財道具を積んで避難した。そこには家は無かったがインディアンテントを張って住んだ。そこで住みながら小さな小屋を家族で造った。
 
    その小屋に一晩泊めていただいた。その小屋は身体寸法に合せたような家になっていて、薪ストーブのぬくもりがそれを効果的にしている。まるでまとわり着かないラフな衣類を着ているような家である。どこかで聞いたことのある天井が高い家の子は賢く育つ、などと人の虚栄心をあおるような家ではなかった。G・O夫妻が授かった4人の子供を見ればそれはわかる。
 この小屋に数年住み、地場の環境を体験した。G・O夫妻はこれからの家族の生活と仕事が連動することを願い、その発信場所としてこの胡桃平を見つけた。ここはなぜか安堵感が漂う土地であった。春に訪れたが親指大の蕨が一面に生えていて、人間の競争心を打ち消すようだった。むしろこれは「わらび平」と言うべき土地である。
1階平面図
 きれいに3尺グリッドに則り通柱はその4倍の12尺グリッドに倣っている。これも山の木を考えてのこと。